京都大原三千院

8月も終わり、紅葉には早すぎる9月に入ったばかりの三千院は訪れる人も少なく、一時の静けさが訪れています。
場所は京都市街の北東山中、大原の里にあり、古くから貴人や念仏修行者が都の喧騒を離れて隠棲する場として知られていました。
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聚碧園(しゅうへきえん)
池泉鑑賞式庭園の聚碧園は江戸時代の作で、音なしの滝から流れ出る律川の水を引いた池泉、刈り込みや植栽の調和により奥行きを見せています。

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三千院の客殿より池泉観賞式庭園「聚碧園」を眺める

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三千院の庭に佇む童地蔵

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あと一ヶ月もすると秋が訪れます

# by kimama-time | 2008-09-07 08:27 | Trackback | Comments(0)

涸沢~横尾~徳沢~上高地

標高2,310mの涸沢で迎える夜明けは素晴らしいものでした。
涸沢ヒュッテから見上げる穂高連峰は北尾根から前穂高岳3,090m、奥穂高岳3,190m、涸沢岳3,110m、北穂高岳3,106mの東稜まで一望することができます。
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山の朝は特に冷えますが、皆早くからデッキに出て日の出を待ちます。
ありがたいことに本日も快晴のようです。

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穂高を背に、まだ明けきれていない深く青い空を眺めていると宇宙さえ感じてきました。
私の写真ではどこまで伝わるのか疑問ですが、この感覚はその場にいなければ、やはり実感することは難しいと思います。

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朝日を浴びて山が赤く染まってきました。 いよいよ一日の始まりです。
涸沢ヒュッテでは多くの宿泊者がデッキに出ているので、スタッフが朝食を早く取るように呼び出しにきました。
ちなみに朝食時間は5時からで夕食と同じく、ご飯と味噌汁はお代わり自由となっています。

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明るくなってきたので涸沢小屋とテント場を覗くと、皆慌しく動いていましたが山の朝は早く、きっと今日の行動計画に沿って4時過ぎから身支度をしていると思います。

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絵葉書のような光景を眼にして、おもわず一枚パチリと。

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本谷橋
涸沢カールを後にして本谷橋までの所要時間は、登りの半分の時間で降りてきました。
ここでは昨日と同じように、これから登る人、私のように下山する人が休憩をされています。
雪解け水にタオルを濡らして汗を脱ぐい、これから今日の行動に思いを巡らせることができる絶好の休憩ポイントです。

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屏風岩

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穂高を後にして

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横尾大橋
この横尾大橋を渡れば、本日宿泊する横尾山荘です。

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横尾山荘前広場
ここで休憩していると槍ヶ岳方面から、引率の先生に連れられた高校の山岳部と思われる5,6人の若者が重そうなザックを背に下山してきました。
皆達成感のある表情で、まだまだ体力が余っているような逞しささえ感じました。

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私は当初の予定通り山荘へ大半の荷物を預け、必要なカメラ機材だけを持って槍見台へ向かうことにしました。
槍見台へは横尾山荘から少し歩くと道標が現れ、ここで蝶ケ岳をめざして40分ほど登っていくと到着するはずです。
はたして槍ヶ岳は見えるでしょうか、楽しみです。

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槍見台
槍見台までの道のりは予想はしていましたが、先ほど涸沢から下山してきたばかりの私にとっては、非常に厳しい急な登りの連続に思えました。

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槍見台に到着してみると、望みの槍ケ岳が遠くにはっきりと見えるではありませんか、感激です。
周りには誰一人もいなく、ただ風と鳥のさえずりの音しか聞こえてきません。
せっかく苦労して登ってきたのですから、しばらくここで休憩して槍ケ岳を眺めていることにしました。
ゆっくりコーヒーを飲んでいると一人の若者が大きなザックを背負って登ってきて「今日はよく槍が見えますね」と言って写真一枚を撮り、ふたたび蝶ケ岳をめざして登っていきました。
しばらくするとガサガサと音がするので何かと見ていると、蝶ケ岳方面から駆け下りるかのようにこれも20代の若者がやはり大きなザックを背に降りてきました。
横尾山荘までの時間を聞かれましたので「君の足なら20分程度で下りられるよ」と伝えると、すがすがしさを残しながら再び、山荘をめざして駆け下りていきました。

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休憩している槍見台で横を見てみると名前はわかりませんが、爽やかな薄紫色をした花が風に揺れていました。

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横尾山荘
本日宿泊の横尾山荘です。
私が宿泊したときは改築工事中の為、定員60名の予約制でした。
その改築工事も現在は完了し、8月23日からは定員が従前の250名に戻り、通常通りの営業となっています。

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私が泊まった部屋は2段ベットの8人部屋でした。
普通山小屋で宿泊する場合は宿泊者が何名訪れるかわかりませんので、畳に布団敷が多いのですが、ここ横尾山荘ではカーテンで仕切ることができるベッド式となっています。
そのためか女性の登山客が多く宿泊されており、食事も山小屋の中では三ツ星という内容でした。

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翌朝は木漏れ日の中、明神へ向かいました。

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明神まで来ると、上高地の観光ルートだと実感させられます。

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今日も快晴です。

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ウエストン碑
日本と世界に上高地、北アルプスを紹介していただいたウエストン卿に感謝をし、上高地清水屋ホテルの外来入浴で汗と垢を落として上高地バスターミナル~新島々~松本~名古屋~京都~奈良方面へと帰路に着きました。

今回の山行で気がついたのは、思った以上に女性も含めて単独行動の人が多かったことです。
山小屋では同じ山登りの仲間として情報交換やカメラ、写真の話をすることができ、私にとっても有意義な時間を過ごすことができました。

# by kimama-time | 2008-08-24 09:44 | Trackback | Comments(0)

上高地~徳沢~横尾~涸沢

夏季休暇を利用して長野県松本市安曇にある日本有数の氷河圏谷である北アルプスの麓「涸沢カール」まで行って来ました。

私の場合、登山やテント泊が目的でなく、写真撮影が目的ですので、最初から山小屋泊と決めて計画を練りました。
バスでの移動は好きではありませんが、今回は効率を考えて京都発23時で翌朝6時に上高地着の「さわやか信州号」という長距離バスを利用します。

初日は、そのまま上高地から涸沢までコースタイム6時間強、休憩を加味すると約8時間の山行で涸沢ヒュッテ泊、翌日は横尾までゆっくり降りた後、蝶ケ岳に行く途中の槍見台まで登り、運良く槍ケ岳を見ることができれば最高で、その日は横尾山荘に泊まり、翌日は上高地まで移動後、温泉で汗を落として上高地~新島々~松本~名古屋~京都~奈良方面というJR経由で帰宅するという3泊4日の計画にしました。

日程は横尾山荘にいつ宿泊できるかで決まります。
普通、山小屋は非難小屋の役割から予約なしでも宿泊が可能です。そのため状況によっては1枚の布団に数人ということも覚悟する必要がありますが...(先方の準備もありますので、できる限り予約をしましょう)
しかし、横尾山荘に限っては現在、改築工事中の為、収容可能人数60名までの完全予約制となっており、宿泊日の1ヶ月前からの受付開始ということで無事8月12日を予約することができ、全体日程を決めることができました。

次にザック重量をどこまで軽くできるかですが、写真撮影が目的ですのでカメラ本体(Nikon D3)、レンズ3本(標準ズーム24-70mm,望遠ズーム70-300mm,マクロ105mm)、三脚で約7Kg、登山用品一式5Kg、ザック本体(カエラム/レクタス45L)約3Kg+水で合計16Kgということで落ち着きました。
さあ、出発です。
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河童橋(かっぱばし)
今や上高地を象徴する木の吊り橋で、年間200万人の観光客が訪れるそうです。
6時過ぎという早朝にも拘らず、早くも橋の上では穂高の峰々を背景に記念撮影をされている人で賑わい始めていました。
芥川龍之介も若いころに訪れたことがあり、代表作の小説「河童」は橋の周辺を舞台に書かれたものです。(朝霧かかる日、上高地から穂高をめざす男が川縁で河童と出会い、気づくと河童の国を訪れていた...)

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明神地区
河童橋から梓川沿いに3km、森林のマイナスイオンを浴びながら歩いていると明神岳の岩峰群が迫る明神館に到着します。
ここまでの道は歩きやすく河童橋から往復2時間のコースで、近くには明神池、嘉門次小屋、穂高神社奥宮があり、日帰りハイカーやツアー客も多く訪れています。
街中を歩くヒール姿の女性も数人見かけ、よくぞ足首を痛めないものだと変に感心してしまいますが、どう見ても場所にふさわしくないと、なぜ気がつかないのか不思議でもあります。

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徳本(とくごう)峠
この道は昭和8年釜トンネルが開通するまで、上高地をめざす唯一のルートで上高地を紹介したイギリス人登山家のウエストンを初め多くの登山家が通った道です。
芥川龍之介も明治42年8月に東京府立三中の5年の時に友人4人と訪れ、安曇島々で案内人を雇い、徳本峠を経て槍ヶ岳に登頂したそうです。

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徳沢のテント場
テント場としては最高の立地条件の為、この地でゆっくりとした時間を過ごすためだけに小さなお子さんを連れてこられた若い家族を何組も見かけました。
今の時代、最高の時間の使い方で、きっと心の余裕のある気持ちが豊かな人達だとも思います。

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徳沢(とくさわ)
明神から歩くこと1時間の地で、昭和初期までは牧場が開かれていたため、周辺は開けた草原となっており、徳沢ロッジ及びテント場、井上靖氏ゆかりの上高地氷壁の宿で有名な徳沢園があります。
さすがにここまで来ると、ツアー観光客の姿はほとんど見かけることはありません。(足元を見れば、わかります)

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新村橋(しんむらばし)
奥又白の岩壁に輝かしい足跡を残した新村正一を記念して作られた橋で、この橋を渡り右岸を行けば登山道として涸沢へ向かう「パノラマコース」へと続き、橋を渡らずこのまま梓川の左岸を行けば槍ヶ岳や涸沢、穂高岳への登山口となる横尾へ続きます。
私は当初の予定通り、横尾へ向かいます。
ちなみにパノラマコースは、通行可能ですが残雪箇所がありますので、初心者のみでの通行はご遠慮下さいと掲示されていました。

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横尾山荘
梓川が槍沢と横尾谷に分岐する地点にある山小屋で、槍ヶ岳や穂高岳、蝶ヶ岳登山の中継地点になっています。
ここには明日、宿泊するので楽しみでもあります。

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横尾大橋
ここからは涸沢、穂高へと向かう登山者しかいません。
ここまでは上高地からのコースタイム(約3時間)通り来れましたが、これから先の本格的な登山道を思うとザックの重さと長距離バスでの睡眠不足が体に堪えてきました。

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屏風岩
横尾から涸沢への第一休憩ポイントとなる本谷橋へ向かう途中で、まず目に入るのは高さ600mの大岩壁である屏風岩です。
前穂高の北尾根が横尾谷に大きく切れ落ちる大岩壁で、ロッククライミングのメッカでもあります。
クライマーでなければ、何故そこまでして危険を冒すのかと理解に苦しむのではないでしょうか。

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本谷橋
本谷橋の吊り橋は一人で渡ってもかなり揺れ、若干のスリルを味わうことができます。
渡った川岸は休憩適地で、これから涸沢方面へ向かう登山者の多くが体を休めていました。
もちろん逆の涸沢方面から横尾へ下山する休憩地でもあります。
雪渓の溶けた水は強烈に冷たく、タオルを濡らして汗を拭い、涼しい風に吹かれると何ともいえない気持ちになります。
本谷橋を過ぎると急登になり、一気に高度を稼ぐ2時間程度の登山道になることがわかっているので、ここでしっかり体調を整えておく必要があります。

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落石注意
本谷橋から涸沢へ向かう途中のガレ場には落石注意という看板が掲示していましたが、右側の絶壁に気をつけながら素早く渡るしか注意しようがありません。
今回のルートで一番緊張する箇所でもあります。

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涸沢ヒュッテへ
ようやく登山道の分岐が現れ、左「涸沢ヒュッテ」、右「涸沢小屋」という道標が見えてきました。
疲れた体でも目標が見えると不思議なもので、再び力が漲ってくるものです。

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雪渓
ヒュッテ直下の登山道には残雪がありますが、アイゼンは必要ありませんでした。
ゆっくり慎重にステップを切りながら登っていきます。

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涸沢カール
後半はバテ気味でしたが、何とか15時前には目的地の涸沢カールに着くことができました。
着いた当初はガスがかかっていましたが、雄大な景観に変わりはありませんでした。

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涸沢小屋とテント場
テント場に下りてみると、やはり大学や地域の山岳部が大半を占めているように感じました。
中には、若いお父さんと息子という、たくましい親子もいました。

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涸沢ヒュッテ受付
到着後、早速宿泊の手続きを行いました。
涸沢ヒュッテは予約なしでも宿泊可能ですが、私は事前予約をしていたので少人数(布団4枚敷き)部屋が割り当てられ、「本日は一人一畳を確保できそうです」と受付嬢のうれしいお言葉でした。
正直、受付をするまでは布団一枚に一人で眠れるのか心配でしたが、盆休み前の平日ということもよかったのかもしれません。
そして同室の住人は誰一人としてイビキをかくことなく、ゆっくりと眠ることができました。

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気圧差
涸沢ヒュッテは標高2,310mの位置にある為、気圧の変化でスナック菓子の袋がパンパンです。

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涸沢ヒュッテ 展望テラス
生ビールと名物おでんで乾杯!
このテラスにいると、あちらこちらから徳沢、新村橋経由のパノラマコースや横尾から登って来た人や、三千メートル級から無事に下山された満足感が会話の中から伝わってきます。

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テント場の灯り
照明が一切ないテント場では陽が沈む暗闇の中、カラフルなテントのおかげで幻想的な灯りを眺めることができます。
本当はもっと多くのテントが設営されていますが、早朝出発組みのテントは消灯され、既に就寝中のようです。

夜の涸沢は寒いのですが気持ちよく、空気が澄んでいるせいか、星が下界より大きく見えて近くに感じることができます。
こればかりは写真撮影しても私の実力では表現できないので、自分の眼に焼き付けておきたいと寒さも忘れ、ずっと眺めていました。

つづく....

# by kimama-time | 2008-08-15 15:53 | Trackback | Comments(0)

なら燈花会(とうかえ)

昨晩は「なら燈花会」に行って来ました。
燈花会は毎年夏季10日間だけ、古代史の面影が残る奈良公園10ヶ所のエリアで開催され、ろうそくの灯りだけで趣向を凝らして照らし出すというイベントで、1999年に誕生してから毎年少しずつ訪れる人も増えてきています。
今年の初日は亜熱帯地域のスコールかと思わせる集中豪雨の為、一日遅れの8月6日からのスタートとなりました。(期間は8月14日まで)
昨日訪れたのは学生の夏休み期間中ではありますが、平日の金曜日で北京オリンピック開会式当日ということもあり、人出も少ないと予想したのですが、甘い考えであったと気づかされてしまいました。
一つ一つの解説をせず、写真からどこか懐かしさと、少しでも心の癒しを感じていただければと思います。
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今年は手塚治虫生誕80周年ということで、春日野園地会場では代表作「火の鳥」が色とりどりのろうそくで描かれていると知り、訪れて見ましたが全体を見下ろせる高台がないため、正直なところよくわかりませんでした。(空から撮影されたポスターは見事でしたが・・・)

話は変わりますが、明日から3泊4日で山小屋を転々と長野県の涸沢、穂高を撮影に行って来ます。
単独山行のため、妻は心配していますが無理な行動をせず、毎日山小屋から連絡をするということで理解をしてもらっています。
従って、次回のブロクはその報告とするつもりです。

# by kimama-time | 2008-08-09 16:35 | Trackback | Comments(0)

奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)

7月中旬から暑い日が多くなり、これだけ猛暑が続くと涼を求めて彷徨いたくなるのは私だけでしょうか。
長期の外出は夏季休暇までお預けですので、今回は以前訪れた「奥入瀬渓流」の写真を眺めて少しでも爽やかさを感じていただければ幸いです。
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雨上がりの奥入瀬渓流
奥入瀬渓流は、青森県十和田湖畔の子ノ口から焼山までの約14kmに渡る渓流で、多くの景勝地があることから1952年(昭和27年)に特別名勝及び天然記念物に指定されています。
私が妻と訪れたときは雨上がりであったため、より一層新緑と苔が映え、それはそれは見事な渓流美を目にすることができました。

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この景観を眺めているだけで、心身ともに癒されているな~と体感することができます。
しかし、この時はツアー旅行だったので、気に入った場所でゆっくり立ち止まって眺めていることは許されません。

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銚子大滝
奥入瀬渓流の本流では唯一の滝で、十和田湖への魚の遡上を阻止してきた魚止めの滝とも云われ、ご覧のように水量が非常に多く幅約が15m、落差も7mあり、豪快な景観を見せてくれます。
滝の側まで行くと、爽やかな風に乗ってマイナスイオンを体全身に浴びることができ、まるで巨大な天然クーラーの前に立っているような錯覚さえ感じたことを今でも鮮明に覚えています。

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やはり奥入瀬渓流のような場所で写真撮影をするのであれば、晴天の日より雨上がりのしっとりした情景のほうが絵になると思います。
そのことを裏付けるかのように、この時にも多くのカメラマンが撮影に訪れており、中には地面が雨でぬかるんでいるにも拘らず、這いつくばってローアングルに挑戦している御仁もいました。ご苦労様です。

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妻と二人で初めての地を旅する場合、名勝を限られた時間で効率よく巡るためツアー旅行を利用することが多く、その中で気に入った場所にはプライベートで企画し、再び訪れようと互いに言っています。
もちろん奥入瀬渓流も候補の一つであり、次回訪れる時には渓流近くに宿泊し、中流の焼山から子の口まで約4時間のコースを散策しながらの撮影三昧で、自由気ままに過ごすつもりです。

# by kimama-time | 2008-08-03 07:59 | Trackback | Comments(0)

「ライトアッププロムナード・なら」その2

先週、ゆっくりしすぎた為、ライトアップの最終時間までに訪れることができなかった「春日大社一ノ鳥居」、「円窓亭」、「浮見堂」に行ってきました。
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春日大社一ノ鳥居(重要文化財)
この鳥居は安芸の厳島神社、若狭の気比神宮と共に日本三大木造鳥居の1つで836年(承知3年)に創建されたものと伝えられています。
私は知らなかったのですが、鳥居を潜った直ぐ右には今は切り株しか残っていませんが、「影向の松」という能舞台正面の板壁に描かれている松のモデルがあったそうです。
ここからが春日大社の表参道で、左右に大小さまざまな石灯籠が千基以上1.2kmも続いて本殿まで案内してくれます。

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円窓亭(重要文化財)
元々春日大社のお経の倉庫として鎌倉時代に建てられ、明治27年に現在の片岡梅林内に移築されたそうです。
構造は倉庫で湿気を避けるためか、高床式で四方の壁をくり抜いた円窓を設けるという珍しい造りになっています。
当時としては斬新なデザインだったと思いますが、もしかすると現代人より柔軟であらゆるものを受け入れる度量が大きい文化だったのかもしれませんね。

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浮見堂
奈良公園の中にある鷺池に浮かぶ檜皮葺きで、八角堂形式のお堂です。
円窓亭で写真を撮っているときに、何処からともなく笛の音が聞こえ、その曲目は童謡であったり、ディズニー映画の名曲「星に願いを」など、次から次に心地よい音色が響き渡っていました。
鷺池を訪れてみると、浮見堂の中に日本古来の横笛(竹笛)を奏でる主はいました。
音色に誘われて立ち代り訪れる観光客を相手に、名曲を披露されておりました。

# by kimama-time | 2008-07-27 07:21 | Trackback | Comments(0)

ライトアッププロムナード・なら

今年も古都奈良で夏季行事の一つである「ライトアッププロムナード・なら」が7月1日より始まりました。
午後7時から10時までのライトアップにより、奈良公園一帯の東大寺、興福寺などの世界遺産をはじめとする歴史的建造物が、昼間とは異なり幻想的に映し出されます。
奈良公園以外でも平城宮跡の入り口となる巨大な平城宮朱雀門、そして三つの建物が眩い光につつまれる薬師寺などを見ることができます。
で、私は暗闇でも勝手知ったる奈良公園に妻と二人で出かけてきました。
アスファルトでなく土と樹木が多いせいか、日中の蒸し暑さが嘘のように心地よい風を感じながらの撮影会となりました。
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猿沢池
池畔に植えられた柳とともに興福寺五重塔が水面に映り出され、ゆらりゆらめく情緒ある夜景を、夕涼みをしながら楽しむことができました。
「ライトアッププロムナード・なら」の期間以外でも、通年日没~22:00までライトアップされる観光スポットでもあります。

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興福寺五重塔(世界文化遺産)
奈良のシンボルの一つでもあり、高さは50.8メートルで京都・東寺の五重塔に次いで日本で二番目の高さを誇ります。
暗闇に向かってそびえる古塔がライトアップされた姿を間近から見上げると、昼間以上に圧倒的な迫力で力強い木組の造りが際立ちます。

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奈良国立博物館本館(重要文化財)
奈良には珍しいフレンチルネッサンス様式で、明治期の洋風建築の代表例としてシンメトリーに構成された石貼りが光につつまれる姿は何ともいえない厳かな雰囲気が漂います。

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金剛力士立像(阿形)
東大寺の南大門では、鎌倉時代初頭の創造的エネルギーを象徴する国宝の高さ8.4メートルもある巨大な二王像が迎えてくれました。

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金剛力士立像(吽形)
両像は運慶、快慶により建仁3年(1203)7月24日より造形を開始されて同年10月3日という短期間で開眼されたものと「東大寺別当次第」で伝えられています。
いずれを運慶とし、いずれを快慶の作とするかは不明ですが、両巨匠の最もあぶらののった壮年時代であり、ライトアップで表現の豊かさが強調され、筋肉隆々とした躍動感と迫力に、ただただ圧倒されてしまいます。
ちなみに妻からは「顔の造りがあなたに似ている」と言われました。これは喜ぶべきか、悲しむべきか?

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鏡池に映る東大寺大仏殿

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東大寺
中門から白い土塀、そして世界最大の木造建築である大仏殿が、鏡池に幻想的な世界として映り出されていました。
近くに宿泊されている方は旅館の浴衣姿で夕涼みを兼ねて、ゆったりとした足取りで訪れています。
そして最初は何事かと思いましたが、ライトアッププロムナードを見学する夜のツアーや、タクシー運転手に懐中電灯で案内される観光客にも出会いました。

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仏教美術資料研究センター
1902年(明治35年)に奈良県物産陳列所として建てられた、和風の造りにイスラム様式のアーチ形窓や装飾に施されるという何とも不思議な魅力につつまれた歴史的建造物であります。

今回訪れた「ライトアッププロムナード・なら」は、まだまだ全国的には知名度が低いのか、観光客がほんとうに少なく私にとっては、ありがたい撮影環境でありました。
しかし、この静けさも8月5日から始まる「なら燈花会」では奈良公園一帯が燈籠で埋めつくされ、多くの観光客で賑わうことでしょう。

# by kimama-time | 2008-07-20 18:33 | Trackback | Comments(0)

門司港レトロ

門司港レトロの紹介を以前にも少ししましたが、今回はその続きみたいなものです。
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門司港駅のホームに降り立ち、改札口に向かう途中で「門司港レトロ」を醸し出す人力車のお出迎えです。
七夕飾りもあり、カメラ持参の観光客は間違いなく、皆が最初にシャッターを切る場所になっていました。

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関門連絡船通路跡
門司港からは本州と九州を結ぶ輸送機関として、明治34年より関門連絡船が運航していました。
最盛期の昭和16年には下関丸、長水丸、豊山丸などの新鋭船が1日53往復して毎日平均24000人を輸送する活気溢れた港であり、桟橋までの100mを結ぶ駅構内からの通路階段は、なくてはならないものでした。
昭和17年に関門海底トンネルが開通した後も平行して運航していましたが、乗客の減少に伴い昭和39年に63年にわたる栄光の歴史を閉じています。

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帰り水
この水道は大正3年に駅が開設されたころに設置されて以来、旅行者に門司の「おいしい水」を供給し続けています。
特に戦前の海外旅行帰国者や終戦後の復員や大陸からの引き上げの人達が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから「帰り水」と呼ばれるようになったそうです。
門司港レトロへ旅行されるのであれば、今でも現役の水飲み所で喉を潤してみてはいかがですか。

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駅構内にある旧貴賓室へ向かう階段です。
現在は観光客を対象にレトロ写真展示場として開放されております。

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門司港駅 駅舎
大正3年に建てられた駅舎で、駅としては全国で唯一国の重要文化財に指定されています。
外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式の特徴でもある左右対称的の造りとなっています。

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暑い季節になると、噴水のあるレトロ広場では水浴びをしている子供達で賑わっていました。
写真の子は父親と来ているらしく、噴水の中に飛び込んでこいと送り出されていました。
母親と来ている子は噴水の端で濡れないように水遊びをしていました。何となくわかるような気がします。

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門司港レトロ
明治・大正時代に国際貿易港して栄えた時代から残る古きよき街並みと、歴史ある多くの建築物が資料館などの形で利用された観光施設になっています。

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ブルーウイング門司
歩行者専用のはね橋で、門司港レトロの見所のひとつとなっています。
開橋時間 10:00 11:00 13:00 15:00 16:00

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九州鉄道記念館
平成15年に開館された新しい施設で、これから「門司港レトロ」の観光スポットになることでしょう。
屋外施設では九州各地で活躍した歴代の実物車両(8車両)が展示され、室内施設では明治時代の客車、運転シミュレーター、九州の鉄道大パノラマや模型、実物資料、駅員の歴代制服、ヘッドマーク各種きっぷ、鉄道用具から駅弁ラベルまで見て、触れて楽しめる展示物が満載で、子供から大人までの鉄道ファンには堪らない展示内容となっていました。
私が気に入ったのは「つばめコーナー」です。 一度、訪れる価値はあると思います。

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59634号
9600型は初の国産貨物機関車で770両製作され、九州全域で活躍し、キュウロクの愛称で親しまれました。

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昔懐かしい木枠で直角の座席です。 窓は手動で開け閉めができ、私にも座った記憶があります。

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昔の駅長室
レプリカでなく、実際に使用していた道具類を見ることができます。

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明治時代から活躍してきた客車(明治42年製の実物)を展示しており、実際に乗り込むこともできます。
そして、その当時の乗客や車掌などの人形と音響効果で、列車旅行の情景を演出していました。

今回のブログは先週一回分を飛ばしましたので、少しボリュームが多くなってしまいました。
毎週一回は更新していくつもりですが、これからも時々は抜けることもあるかな~。

# by kimama-time | 2008-07-12 10:55 | Trackback | Comments(0)

唐招提寺の蓮

雨の天気予報が出ていましたが、午前中は何とか持ちそうなので前から撮影をしてみたかった蓮の花に会いに行くことにしました。
当初は蓮で有名な京都の寺に行くつもりでしたが、ホームページで事前確認すると三脚禁止ということで他の寺も調べてみましたが、ことごとく使用禁止でした。
前から思っていましたが、京都の仏閣は写真撮影する者にとってはハードルが高いですね。
その点、奈良は京都に比べ観光客が少ないのか、敷地が広いのか、営利に走っていないのか、制限事項が少ないように思います。
と、いうことで前段が長くなりましたが、今回は鑑真和上の開いたお寺として名高い、奈良市五条町にある唐招提寺に出かけて来ました。
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花の盛りは7月に入ってからということで池の蓮はまだ蕾の状態でしたが、鉢植えの蓮は予想通り何輪かの花が咲き始めておりました。
こんなに近くで目にするのは初めてですが、その花の大きさとグラデーションの見事さに見とれるばかりです。

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唐招提寺の蓮は、鑑真和上が唐の都から青蓮の実を20個持ちこんだと伝えられ、現在では本坊の庭で51鉢におよそ50種類が栽培されており、その中で美中紅蓮などの早咲きの蓮が花を咲かせていました。

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境内2カ所にある池では7月初め頃から花が咲き揃い、8月下旬まで楽しむことができるそうです。

7月に入ってから、もう一度訪れて是非とも、池に浮かぶ可憐で幻想的な蓮の花を撮影したいものです。
私が思い描く、理想的なシチュエーションとしては、雨上がりの朝靄が漂う早朝が一番ですね。

# by kimama-time | 2008-06-29 11:35 | Trackback | Comments(0)

奈良町あたり

梅雨とはわかっていても二週続けて土日が雨模様というのは、出歩くのが好きな私にとって、少々つらいものです。
しかし、この季節になると野菜の種類が多くなり、田舎に住処を構えている者の特権として、安くて新鮮な地の物を食することができるという利点もあります。
早速、夕べの食卓には妻が少し小ぶりなんだけどと言いながら、私の好きな「黒豆の枝豆」を出してくれました。
これから日が経つにつれて暑くなるこの時期には、冷えたビールにぴったりのつまみです。
少々脱線気味なので、先日ぶらりと散策した江戸・明治・昭和前期の町屋が立ち並ぶ「奈良町あたり」に話題を変えてみます。
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いつもはJR奈良駅から奈良公園に向かう観光客の多い本通りを行くのですが、今回は数十メートル右にそれ、奈良町よりのゆるやかな登り道を歩いていくと、道沿いにオブジェを見ることができます。

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二つの作品とも鹿が登場していますが、静と動として捉えられています。

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タイムスリップした感の奈良町に向かっている道中で、喫茶店の看板を覆う見事なグリーンのツタと真っ赤な車を目にし、思わずパチリ。

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観光ガイドでは「奈良町」と紹介されていますが、ほんとうは行政地名はなく、伝統建築群地域が立ち並ぶ地区の通称となっています。
ここで私が奈良町について調べていて学習した豆知識を一つ、この地域の人は昔から早起きといわれており、その理由としては江戸時代に家の前で神使とされている鹿が死んでいるのを役人に見つかると罪として、三文の罰金が課せられたそうです。
そのため、役人が見回りに来る前に朝早くから家の前を確認する必要がありました。
それから「早起きは三文の徳」ということわざが生まれたそうです。
どうです、知っていましたか?

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奈良市立史料保存館にて
引札(ひきふだ)といって明治から大正時代に使われた商店の広告チラシです。

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店先に吊るされている物は「身代わり猿」といい家族の悪事を知った天帝の怒りを、代わりに受けてもらうためのもので、背中に願いを書いておくと、願いが叶うともいわれています。
この奈良町あたりでは店や民家の軒先などに、ごく普通に吊るされております。

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明治時代初期に建てられた伝統的町家を改修し、町づくりの物語を紡ぐ市民の交流サロンやギャラリー展示など、情報発信の場として広く活用されています。

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奈良町のほぼ中心地・奈良町資料館のすぐ近くにある蚊帳専門の老舗
最近は蚊帳を家の中に吊るすために購入される方は、ほとんどいないと思います。
そのためか、この建屋の隣に現代風の店構えで、蚊帳生地を使って暖簾(のれん)、ふきん、テーブルクロス、コースター、ランチョンマットなどが販売されていました。

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奈良町から「もちどの商店街」を抜けたところにある、知る人ぞ知る餅つきの早撃ちで有名な餅屋です。
いつもは、その妙技を一目見ようと多くの観光客でいっぱいですが、今回覗いてみると見物人も少なかったので一枚撮らせていただきました。

先週のことですが暗くなってからの帰宅途中、水路脇の草むらに「ホタル」を見かけました。
ホタルが乱舞するほど田舎ではありませんが、チラホラとした明かりを見たときには、ここ数年見かけなかったので何だかほっとしました。
梅雨はうっとうしいですが、季節の移り変わりがあるから体験できる自然のありがたさですね。

# by kimama-time | 2008-06-22 08:51 | Trackback | Comments(0)